AWS活用事例、メディア・セミナー情報や名物・社長のほろ酔い対談などをお届けするブログです

HANDS LAB

HANDS LAB BLOG

ハンズラボブログ

長谷川秀樹のIT酒場放浪記 第20回 クリエイターズマッチ 代表取締役社長 呉 京樹さん


ハンズラボCEOの長谷川秀樹が、どうすればエンタープライズ系エンジニアがもっと元気になるのか?という悩みの答えを探し、IT業界のさまざまな人と酒を酌み交わしながら語り合う本対談。第20回目は、株式会社クリエイターズマッチの呉 京樹さんをお迎えしました。中学時代のアルバイトに始まり、様々な業界の仕事をしてきた呉さんの経験はまさに山あり谷あり。マシンガントークであっけらかんと語りつつも、「働くとは?」「仕事とは?」を根源から考えさせられる。

株式会社クリエイターズマッチ 代表取締役社長 呉 京樹さん
1976年 兵庫県神戸市生まれ。修成建設専門学校建築学科卒業。株式会社三和建設入社。阪神大震災後、災害復興プロジェクトのマンション建設に現場監督として携わる。建築という創造がもつ物理的限界からデジタルデザインに興味を持ち、デジタルハリウッドでグラフィックデザインを学ぶ。その後ゲーム会社、映像制作会社にてデザイナーとして活動。企業ネットワークを広げるため営業としてソフトバンクヒューマン・キャピタル株式会社入社。営業マネージャーを経て、2006 年株式会社コンテクストを設立。2007年に株式会社クリエイターズマッチを設立、代表取締役に就任。

波瀾万丈を地でいく仕事人生の始まり

長谷川どうも、ご無沙汰しております。昨年のブランドサミットでご一緒して以来ですね。そこでベストプレゼンテーター賞を呉さんが獲得されて、その時僕がプレゼンテーターとして表彰状をお渡ししたのがお初でしたよね。

その節はありがとうございました。長谷川さんのことは、セミナーでもよくお見かけしていましたし、なにしろこのインパクトですから、よく存じておりました。そんな先輩に表彰いただいて光栄でした。sakaba18_03

sakaba18_02

毎年行われる「ブランドサミット」(画像は2014年のもの) http://imediasummit.jp/brand-summit-2014/

長谷川いやいや、心にもないことを(笑)。でも、あのプレゼンテーションは感動的でしたよ。「高速化するテスト」の時流に戦略的に乗って、クリエイティブの「生産性向上」で”クライアントニーズ”と”クリエイターの収入”を両立させる、っていう超戦略的なものだったんですよね。

そこもとても面白かったんですが、僕が本当に感動したのは、呉さんのご経歴と仕事観、それがすごく印象的だったんですよ。

えっ、そうなんですか。今日はてっきり、マーケティングとかの話なのかと。

長谷川それもまたおいおいうかがうとして。呉さんの経歴がすごいじゃないですか。いろんな仕事をなさっていて、正直1日バイトとかもカウントしてませんか。

してません、してませんよ(笑)。

sakaba18_04

長谷川なので、まずは生い立ちからうかがえればと。もともと学生時代から、たくさんアルバイトをされていたんですよね。

はい、中学生くらいからですね。父が物心ついた頃から家にほとんどいなくて・・・。なので、自分のお小遣いのためにもアルバイトをするのは自然なことだったんです。

長谷川中学生ができる仕事って限りがあるでしょう。どんなことをされていたんですか。

当時、僕が住んでいたのは、神戸市の長田で靴の生産の一大拠点でした。とにかく働かせてもらえるところを探したら、近所の靴のゴムを作る工場が仕事をくれたんです。ミシンがけも配達もなんでもやりましたよ。で、中三のとき、腕を骨折したんですけど、その時に父が帰ってきたんです。「大丈夫か〜?」って突然病院に来て。

長谷川ええ〜、父ちゃん面白すぎる。

で、そのまま父がリサイクルショップを起業して、今度はそこで働くようになったんです。電話営業したり、中古品を引き取りにいったり、電化製品を修理したり。仕入れから値付け、販売までやったので、商売のイロハはそこで覚えたようなものですね。

その後は、折り込みチラシに入っていた求人広告を見て「お餅屋さん」に行きまして。餅を量って切って丸めて、っていうのを1日500個、年末は16時間労働を5日間やってました。単純作業だと思うでしょ、それが、意識してやると餅の重さが量らないでもわかるようになるし、堅さや出来不出来がわかってくるんですよ。

sakaba18_05

長谷川おお、職人技になってきたわけですね。

そうそう、作業だと思うとつまらないけど、極めようと思うと仕事として興味がわくし、工夫もする。生産性も上がれば、給料も上がるんですよね。そのまま餅を極めてもよかったんですが、今度は料理を自分で作ってみたいと思うようになったんです。

興味関心のおもむくまま 単身ハリウッドに乗り込んで

長谷川呉さんが初めて自分から「こんな仕事をやってみたい」と思ったのは、料理だったんですね。

はい。それで神戸では有名なレストランでアルバイトしたんですが、最初は皿洗いでした。まあ、いきなり調理はさせてもらえないだろうと思っていたので、皿洗いに邁進して、真鍮の皿とかピッカピカにしていたんですよ。そしたら3ヶ月めのある日「お前、料理やりたいって言っていたな」って包丁を持たせてもらって、それから順々に料理を覚えて、19歳で料理を任されました。

sakaba18_06

長谷川すごいな。そのまま名料理人を目指していたかもしれませんね。

そうかもしれません。でも突然、阪神・淡路大震災でレストランも商店街も焼けて、仕事先を失ってしまったんです。親方も所在不明でしたし、茫然自失でした…。でも、これは地元の復興をせねばと気を取り直して、ボランティアや土木工事にも参加して、ユンボ(油圧ショベル)の免許も取りました。それで、やるならちゃんとやろうと専門学校に通って、卒業後に建設会社に就職したんです。当時は現場をかけもちして、もう23時間労働って感じで。でも地元の復興のためと思えば、苦にならなかったです。でも4年経って復興もかなり進んで、このまま新しいマンションを建て続けることに疑問を感じるようになったんですね。

そんなある日「スターウォーズ エピソード1」を観て3D技術に圧倒されて、それが普段、図面を引くのに使っていたCADの延長線上にあることを知ったんです。もう、いてもたってもいられなくなって、6月に退職して、忘れもしない7月4日の米国独立記念日にハリウッドに行ったんです。

sakaba18_07

長谷川ええっ、いきなりですか。一人で?当てはあったんですか?英語は?

一応、働かせてもらおうと思って(笑)。とりあえず、英語はできないけど貯金はあったし、なんとかなるだろうと。ただ行った当日、独立記念日で人がいなかったんですよ。で、日本人街で日本人がやっている不動産屋で紹介料詐欺に遭いながらもなんとか部屋を見つけて、ピクサーとか、ワーナーとか手当り次第にアポなしで飛び込みました。当然門前払いです。幸い会ってくれる人がいて「まずは学校に行って来い」というので紹介されたのが「dhima」でした。でも、ここってデジタルハリウッドが逆輸入する形で作った学校だったんです。

長谷川で、デジタルハリウッドに入ったんですね。

それがすぐには行けなかったんですよね。アメリカで貯金を使い果たして、約90万円ほどの授業料がなくて…。当時は学校法人でなかったのでローンもできず、こうなったら短期間で稼ぐしかないぞと。それで朝4時から神戸中央市場、日中は靴のかかと製造工場、夕方からJRの駅の清掃と時々水商売、1日23時間くらい働きました。なんとか1ヶ月で学費を作って、デジハリに通い始めたんです。週2日授業だったので、市場と清掃は続けてました。あと24時間いつでも校内で動画ソフトが使えたのでそれを目的に学校に入り浸ってましたね。

長谷川その忙しさで、よく体力が持ちましたよね。

大変でしたけど、僕は自分を追い込んだ方が頑張れるんですよね。とはいえ、半年後に卒業しても就職できなかったのには参りました。クラスの40人中2人しか就職できなかったんですが、どうしてもあきらめきれず、半年間デジハリの自習室に通って、作品を作っては就職活動を続けていたんです。幸い同期が就職していた会社に紹介されて面接に行ったら「お前は使えなそうだから月5万円でよかったら雇ってやるよ!」と。向こうは断ったつもりなんでしょうけど、「いいんですか?」って即決で入社を決めました(笑)。

sakaba18_08

クリエイターをハッピーにする営業職として独立したい!

長谷川じゃあ、この世界に入ったのは、クリエイターとしてだったんですね。

はい。定期代2万、部屋代5万で毎月大赤字というスタートでしたが、「これができたら給料上げてあげよう」と3ヶ月ごとに課題をクリアして5万円ずつ上げてもらい、半年後に15万円になって人並みの生活ができるようになりました。それでもだんだん欲が出て、はじめはゲーム関係だったのが、映画を作りたかったので映像関係に転職して、CMの実写CGなんかを作ってました。

長谷川クリエイターとして順調にキャリアを重ねられたにも関わらず、その後営業職に就かれたのはどうしてなんですか。

sakaba18_09

東京支社のオープニングスタッフに抜擢されたのが転機ですね。当時、CGを作りながらディレクションもやっていて、さらに営業もするようになったんですが、当時は携帯電話の動画の仕事がバンバン入って、とてもいいスタートでした。で、取ってくる案件の面白さや値付け次第で、やっぱりクリエイターとしての自分もモチベーションが違うわけですよ。

これは面白いぞと。それで後任が来たところで会社を辞めて、営業職として就職活動をはじめたわけです。当時は2003年で景気も結構いい時代で、営業職は売り手も買い手もたくさんいて。でも、それって経験ある人がたくさん市場にもいるってことで、経験のない僕は入り込めない。3ヶ月で48社落ちました。

長谷川それは、厳しいですね。で、49社目にはどうやって入られたんですか。

東京に高校時代の友人がいたことを思い出して、彼が勤務していたソフトバンクヒューマンキャピタルを紹介してもらったんです。「ほっと一安心」と思いきや、普通に面接したら「不採用」で、ええ〜って(笑)。それで「ちょっとどうにかしてよ〜」と大騒ぎして、彼が所属していた部署トップの役員面接にこぎ着けました。ご想像の通り、僕の履歴書はボロボロ。「なにがやりたいの?」っていう状態ですから。面接官はそれを脇において、ふと隣の工事現場のクレーンを見ながら「あれって、どうやって解体するの」って。それで解体方法を説明したら「なるほど、長年の疑問が解決した」って喜ばれて、営業部長とかいろんな人が出てきて合計5時間面接ですよ。

長谷川すごいな、ソフトバンク(笑)。ゼネコン時代の知識が役に立ったというわけですね。社長面接はどうされたんですか。

5時間面接の翌日、最終面接で現アリババ代表取締役社長の香山さんに面接いただきました。その時は「何がやりたいんだ」「営業がやりたいです!」「将来はどうしたいんだ」「2年で辞めて独立したいです!」って。みんなひっくり返ってましたが、香山さんは面白がってくださって。で、採用してもらいました。

長谷川懐が広いなあ、香山さんは。そんな大人に僕もなりたい(笑)。そして、快進撃がはじまるわけですね。

sakaba18_10

いや〜、2年で成果を上げなきゃと、必死だったんですよ。ソフトバンクヒューマンキャピタルで求人広告の営業を担当したんですが、初日に電話営業でアポが取れて、3日めに初成約がとれて、1ヶ月で新人賞取って、半年でMVP取って。で、半年後くらいに新規事業を立ち上げるというのでそちらに移って、3人の営業チームで1年半やって300件を受注しました。幸い事業としては成功したんですが、事業計画的には十分ではなかったらしく、パートナー企業に事業譲渡してチームは解散したんです。残念は残念でしたが、僕としては十分勉強はできたのでちょうどいいから辞めようと。

長谷川目まぐるしいですね。辞めてからはすぐに会社を立ち上げられたんですか。

はい、ただ1月に株式会社コンテクストを登記して、4月に今取締役をやっている岡村が辞めたのに、まだ僕が辞めさせてもらえなくて。ソフトバンクと掛け持ちしながら、2ヶ月間彼の給料を払えるだけの仕事を取っていました。そして鄭(チョン)がジョインして創業メンバーの3人が揃ったのが8月。クライアントもどんどん増えていったんですが、共通のお悩み事が「広告運用に人が足りない。特にバナーを作る人がいない」というんですね。それならと、デジハリに「クラウドソーシングを始めるから、卒業生3万人を貸してください」と相談しにいって、2007年の8月に出資もしてもらって、合弁会社でクリエイターズマッチを立ち上げたんです。

sakaba18_11

デジハリと組んだ事業で大成功のはずが、急転直下で背水の陣に

長谷川2007年っていったら、ランサーズさんが2008年、クラウドワークスさんが2011年だから、クラウドソーシングではバリバリのパイオニアじゃないですか。まさに先駆けですよね。それからは順風満帆だったんじゃないですか。

そうなんですよ。デジハリ卒業生がバナーを作りますってプレスリリースを打ったら、どわ〜〜っと受注が来て、「やった!これでデザイナーの仕事を供給するプラットフォームができた!」と大喜びしたら、これが2〜3ヶ月すると雲行きが怪しくなって…。

長谷川あららら…、どうなったんですか。

毎日電話がかかってくるんです。それが全部クレーム!!「デザイナーから納品がない」「明日広告開始なのに品質が悪い」とかですね。マッチングさえすればいいと思っていたら、とんでもない。仕事を受けてくれていたのは、学生上がりで仕事がない、バナー制作未経験の人ばっかりだったんです。よみがえったのは8年前の自分(笑)。そのレベル感が肌でわかったので、受注していた仕事をすべてお返しして「出直してきます!」と頭を下げまくって。デジハリにも名簿を返して、手元に残ったのは資本金の1割、100万円だけ。みんな「日本では向かない」って事業撤退を勧めるんですが、僕は「絶対必要な事業だ」って言い張って、結局まずは教育事業から1人でやることになったんです。

sakaba18_12

長谷川急転直下ですねえ。

ええ、正直きつかったです。銀行にも融資は全部断られるし。でも、りそな銀行の某支店長が「人のためにやる仕事は必ず成功する」って言ってくれて、融資してくれたんです。もう、泣きそうでした。今も恩人だと思っています。

長谷川ええ話や〜。でも、半年で900万円消した会社によく出資してくれましたよね。

本当に。だから、もう背水の陣でしたよ。まず地方自治体を回って「一緒にデザイナーを育成しませんか。仕事は取ってきます」と提案していきました。北から回って門前払い続きで、たどり着いたのが宮崎。当時、口蹄疫や鳥インフルエンザ、火山噴火などで県内産業に大打撃があって、新たな外需拡大の施策を求めていたんです。そこではじめて30万円の予算がついてイベントを共催することになりました。

長谷川どんなイベントをされたんですか。

カンヌで金獅子賞を取った2人のクリエイターをお招きして、「こんなすごいクリエイターが来るぞ!」と宣伝を打って、30万円まるまる使ってセミナーをやったんです。そしたら宮崎としては異例ともいえる70人が集まって、セミナーの内容もすごくよくて。その大成功で次の年からクリエイター育成の予算がついて、キャッシュフローが回るようになったんです。

sakaba18_13

長谷川いやもう、ギリギリのところの起死回生ですね。

そうなんですよ。でも、それではまだ十分じゃなくて、以前頭を下げてお断りしたお客様に再び頭を下げて仕事をもらいにいきました。「半額でいいですから!」ってもう必死でしたね。でも、皆さん「待ってたよ」って言ってくださって…。それから、売り上げがどんどん上がって、宮崎で5年間36回の講習をやったりと、全国で200人のクリエイターを育てて、彼らのおかげで年間2億円の売り上げを上げるまでに成長したんです。

長谷川バナーだけでっていうのがすごいですよね。それに、まだ若いのに波瀾万丈すぎ、濃厚すぎ(笑)。短期間でいろんなことを学んだという実感があるんじゃないですか。

他と比べられないので、わからないですけれど、いろんな業界を経験してきて感じたのが、「基本は同じ」ってことですね。商売としても仕入れがあって、売り上げがあって。人とのつながりが大切とか、誠意が大切とか。身をもって実感しました。

人が嫌がる仕事はお金になる
楽しんで効率化したもんが勝ち!

長谷川経歴をうかがって面白いと思ったのは、まず業界をホップしまくっていることですね。給料を上げるには「自分を売る」必要があって、そのためには同じ仕事の人より上に上がらないとならない。そのために経験や知識を蓄積しているわけだから、転職するにしても業界に固執しますよね。呉さんのそのアグレッシブさというか、自ら業界をホップする動力ってどこにあるんですか。

sakaba18_14

基本、自分で仕事を選んだことはないんですよね。ただ、祖父や父の影響からか、高校時代から30歳までに独立して事業をやるというのは決めていたんです。だから、それまでに必要な経験はしておきたかった。そうなると就いた仕事で学ぶべきものを意識するので楽しいし、逆に欠けているものを意識するから「やりたい」となったら次の仕事にホップするのも必然だったんです。

長谷川そんなふうに意識して仕事を楽しめるようになれば、もっと日本人もハッピーに仕事ができるし、新天地を求めるのに躊躇しなくなるのにね。

そう、新しい場に行くと、新しい気づきや価値観が得られて、進むべき道が自然に開けるんですけどね。ソフトバンクに行ったのも営業を学びたかったからだけど、そこでインターネットによる求人のすごさも実感できました。だからクリエイティブの世界とネットによる仕事のマッチングが自然に融合したんです。それに建設会社の経験があったから、企業直後にマンションデベロッパーさんの仕事をたくさんやらせていただいたわけですし。将来につながるとは思っていなかったことでも、がっつり経験してちゃんと仕事しておくと後々何らかの形で役に立つんだなあと実感しました。

sakaba18_15

長谷川もしや東急のも作りました?

東急リバブルさん、最近だと東急不動産さんのマンション「ブランズ」とか、いろいろ作りましたよ。あと、ゲーム業界にいたことで、不足している人材のプロフィールとかスキルセットとかもだいたいわかるんですよね。ソフトバンクにいた時にMVP取れたのも、実は事情を知っているゲーム業界から攻めていったからというのもあるし。響く言葉とか、業界ごとにあるじゃないですか。

長谷川なるほどね〜、漫然と仕事していちゃダメってことやね〜。でも、デジハリに行った時なんかまさにそうだけど、稼げることとやりたいことのどちらかとなると、普通はどうしても稼げる方にいっちゃうでしょう。年齢がいくほど現状にしがみつく。呉さんがそれまでの収入を投げ打ってマイナスからのスタートを選べる理由はどこにあるんでしょうね。

それはシンプルで、「やりたいこと」は今しかできないけど、お金を稼げる方はいつでもやれるからですよ。仕事を選ばずにいろいろやってきて、自分は何やっても稼げるだろうなという絶対の自信がある。稼ぎたいなら、「人がやりたくない仕事」をやればいいんです。ただ“作業”だと思ってやっても面白くない。工夫の余地がある“仕事”として楽しんでやる、さらには情熱を傾けて効率性や品質を上げる。そしたら、どんどん楽しくなるし、感謝されるし、収入もあがりますから。もちろん知識や経験も備わってきますし、次の世界も開ける。

長谷川ああ、それ!まさに「モチベーションが〜」とかいって仕事をえり好みしている人に聞かせたいですね。

sakaba18_16

そう、フォーカスすべきは自分のモチベーションより、今やっている「この仕事」じゃないかと。クリエイターズマッチだってそうですよ。バナー作成って、クリエイターにとっては小さな仕事だし、本当なら映画やテレビCM作りたいと思っているかもしれない。でも、真摯に極めることで「この業界なら誰にも負けないバナー」を“効率的”に作ることができる。それで地方在住で1000万円以上の年収を稼いでいる人がけっこういますからね。

僕も中高時代はほとんど勉強していないし、経営の勉強をしたこともない。でも与えられた場で仕事に真摯に向き合って、失敗しながらも起業も社長業もやれているので。もう、やるかやらないか、どれだけ仕事にコミットするかの違いしかないと思うんですよ。

ディレクションミスでの大珍事
人のせいにしないから進化がある

長谷川いやはや、タフだよね。でも、すごく実感がある。生きるか死ぬかという中で、「モチベーション」なんて言ってられないですよね(笑)。でも、それを他の人に伝播していくのって、難しいですよね。けっこうもともとの生い立ちというか、環境もあるでしょう。

たしかに、祖父や父の事業が今も成功していたら、金持ちのボンボンとしてろくでなしになってたでしょうね(笑)。基本やってみないとわからないと思うので、子どもには「やりたい」といったら何でも経験させてあげたいと思っています。ただ単なるわがままや気まぐれでないか、1ヶ月ほど寝かせて見定めるようにしています。

sakaba18_17

長谷川会社ではどうですか。どうみても“作業”として仕事をする人もいるでしょう。そういう人たちに仕事の面白さを理解してもらうにはどうしたらいいんでしょうね。

仕事が上手くいくようにすることですかね。自分から仕事の面白さを見つける人は、放っておいてもどんどんやるでしょう。でも、そうじゃないからって、その人のせいにしないように気をつけています。たいてい仕事が上手くいっていないのは、コミュニケーションのずれだと思うんですよ。

長谷川仕事を手渡す側に問題があるという認識ですね。

sakaba18_18

そうです。社会や大きな仕事のなかで、その仕事がどんな役割を持つのか、認識してもらえれば、たいていの人は工夫しながらやってくれる。正直、今一緒に仕事をしているスタッフもクリエイターもみんな真面目だし、理解力も高い。建設会社の時なんて、「一輪車に生コン(※コンクリートが固まる前のこと)を入れて、向こうの穴に埋めてきて」って言ったら、一輪車ごと捨ててくるんですよ。ええ〜って思いますよね。でも、それって相手の理解力を理解できていなかったディレクション側が悪いんだと。次は「一輪車は持ってきてね」って付け加えればいいだけじゃないですか。

長谷川なるほど、こっちが当たり前と思っていることが、そうでない可能性があると考えるだけで、的確な指示が出せる。その結果、最善の結果が得られたらよしというわけですね。

ええ、200人のクリエイターとの仕事の中で「納期が遅れた」「求めるものが違う」というのは、たいていディレクション側に問題があるんですよ。それを意識して改善したからこそ、効率性も上がり品質も上がった。いつまでもクリエイターのせいにしていたら、進歩しないですから。クリエイター自身に手戻りが少ない、つまり拘束時間が少なくて稼げるとなれば、もっとコミットしてもらえるじゃないですか。「AdFlow™(アドフロー)」もそうした意図があって作ったツールなんです。

sakaba18_19
「AdFlow™」https://adflow.jp/adflow/

長谷川ディレクションがしっかりしているところは、クリエイターの時間拘束が少ない。となれば、必然的に日当が高くなりますもんね。もうかる現場には人が集まりますからね。優秀な人ほどそういうのに敏感だし。

ええ、工事現場でそれを学びました。時間当りの実入りに対するシビアさは、ホワイトカラーの比じゃないですよ。みんな職人で、プロフェッショナルですから。

長谷川効率性に加えて、品質向上も大きな課題ですよね。御社の優位性の部分でもあるし。

それについては「得意な業界に特化する」を意識しています。僕自身、ソフトバンクで営業成績を上げられたのは「知っている分野」に特化したから。自身がユーザーだったり、業界について知っていたり、詳しい部分、興味がある部分に集中してもらいます。もちろん、いろんな業界をやりたいとか、希望は一定受け入れますが、最終的には仕事としての面白さも収入も集中した方がよくなるので、自然にそうなってますね。

長谷川評価はどうなっているんですか。けっこう人と人との嫉妬やねたみやっかみって、面倒でしょう。

うーん、これもね、工事現場で一番“すごいの”体験したから、もう何が来ても多分動じない。

長谷川ん?なんですか。

いや、これ原稿にできるのかな。いや、もとは僕の指示ミスがきっかけで、左官工さんと造作大工さんがすごい喧嘩をしたことがあったんですよ。電気のこぎりVS左官ゴテ!みたいなw。僕が謝り倒して、その日は二人とも帰ったんですが、翌日出勤すると左官工さんが「あいつ殺したる〜」って血管浮かせて怒っていて。「ちょっと来い!」というので行ったら、左官工さんが職人の美学として整えた砂山の上に、大きなウ○コがあるんです。「あいつしか考えられへん」って言うので、慌てて大工さんに確かめたら「やったった〜」とドヤ顔されて…。「絶対言わないで」と口止めして、左官工さんには「やっぱ、犬のでした」って報告してうやむやにしたんです。

sakaba18_20

長谷川ええ〜すごいな、それは(笑)。もうプライドのぶつかり合いですね(笑)。いっそ清々しい。インパクトはすごいけど、会社勤めのぐちゃぐちゃした人間関係よりいいんじゃないですか。

ええ、もうあのドヤ顔は忘れられないです。確かに隠されて裏でドロドロよりいいですけど、いい年した大人がやることじゃないでしょう(笑)。もう、Web業界のディレクションがどんだけ楽なことか。

長谷川ちなみにそんな実践主義の呉さんが仕事上で悩んだら、どうするんですか。

ちょっと考えて悩んだら棚上げします。考えてすぐ解決法を思いつかないのは、自分の中に経験や実感がないから。あとは人に会って話を聞くことですね。僕全然ビジネス書を読まないんです。迷ったら、もう直接実践している人に会いにいって話を聞く。で、やってみる。トライアンドエラーあるのみです。とにかく人には会いますね。多分1年で約1000人には会って話をきいてるんじゃないでしょうか。

長谷川あれ、今回は、僕全然しゃべってないけど(笑)。

いやいやいや…(笑)。ぜひ、今度はいろいろ聞かせてください。

長谷川ぜひまたご一緒しましょう。今日はありがとうございました。呉さんの人生を伺っていると、本当に「できないことは、なにもない」を実感しました。あと、それなりにうまくいっている状況を捨て、また、一から出直す。という勇気・根性にも感服です。呉さんは、私の人生の先生ですよ!


  • IT酒場放浪記 記事一覧
  • エンジニア募集中!